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委員会

第5回 関西のインフラ強化を進める会 開催日:H30.7.31(火) 開催場所:大阪キャッスルホテル

議事
1. 基調説明
「クルーズ産業の形成に向けて」
田中 三郎 氏
((一財)みなと総合研究財団 クルーズ総合研究所 総括リーダー)
2. 意見交換
3. その他
・関西の明日を創造するために ~将来へ向けてのプロジェクト~
・開催実績と今後の予定

1. 基調説明「クルーズ産業の形成に向けて」講演資料(1.38MB)

田中 三郎 氏((一財)みなと総合研究財団 クルーズ総合研究所 総括リーダー)

はじめに

本日はクルーズをテーマに我が国及び世界のクルーズ産業状況について話題を提供させていただきます。よろしくお願いいたします。

私が所属するクルーズ総合研究所の母体であるみなと総合研究財団は、港湾の高度化活性化に関する調査研究を中心とした財団ですが、数年ほど前から港湾の更なる利活用の一つとしてクルーズという存在が顕在化しましたので、昨年4月にクルーズ振興を下支えする事を目的に我が国では初めてクルーズという名称を冠した研究所を財団内に設立しました。

私自身の経歴を紹介させていただきます。

私は日本郵船株式会社に三等航海士として入社し社会人をスタートしました。入社後の10年間ほどは貨物船等の乗船勤務がほとんどであり、世界のいろいろな港を訪れました。

その後、1979年に会社より文部省に派遣され、三重県鳥羽市にある鳥羽商船高等専門学校航海科教員として約4年間勤務しました。文部省から会社に復帰後は多少の乗船勤務を経て、横浜支店港務課でポートキャップテン業務に携わり、1988年に横浜商工会議所に出向。当時、世界の名船と言われていた「クイーン・エリザベス2世号」を横浜港大桟橋埠頭に長期係留させるホテルシップ事業に参画しました。この頃は日本郵船が客船事業に乗り出して間もない時期でしたので、私も客船事業要員の1人として起用され、その後約30年間にわたりクルーズ業務一筋の道を歩んでいます。

日本郵船では3年から4年で職場を交代するのが一般的ですが、私が携わった客船分野は物流を主体とする日本郵船の中で人流を扱う特殊な部署だったこともあり、他の部門への配属転換は無く、2012年の退社まで、クルーズ関係の業務に携わり続けました。 郵船退社翌年にみなと総研の客員研究員となり、4年前から現在の役職で勤務しております。

今日は、30年間ほど関わった知見をベースに次のような内容を話させていただきます。

  • 1. 我が国のクルーズ船の歩みと現状
  • 2. 世界のクルーズ状況
  • 3. 我が国のクルーズポートの課題
  • 4. クルーズ産業形成への期待
1. 我が国のクルーズ船の歩みと現状

初めに、黎明期の我が国のクルーズ船について話します。

1989年、平成元年が日本の客船元年と言われております。この年は「おせあにっく ぐれーす号」の建造就航、「ふじ丸」の建造就航などがあり、翌1890年には多くの日本船が建造・就航し、1991年には「飛鳥」を日本郵船が建造・就航させました。

バブル景気がはじける少し前の時代でしたので、海運会社は事業の多角化の一つとして客船事業に参入しました。表でも明らかですが、日本のクルーズは船会社が輸送の一カテゴリーとして取り組んだ事でスタートしましたが、この事が日本のクルーズを特色づけガラパゴス的事業構造となりました。世界では多くのクルーズ会社が運営されていますが、その主体のほとんどは海運会社ではなくレジャー産業関連の会社です。クルーズ会社の中にはカジノ運営会社がクルーズ船を運航しているということもありますので、クルーズは、海運産業の1つという捉え方ではなく、総合レジャー産業の1つと捉えた方が適切であると思います。

平成元年頃から始まる黎明期を過ぎてしばらくすると、バブル景気がはじけ日本経済そのものが冷え込む状況に見舞われクルーズ熱も冷めました。 クルーズ事業に新規参入した各社は事業維持が困難となり、所有のクルーズ船を海外売船する等、クルーズ事業から撤退し、現在の我が国で運航されているクルーズは3社・3船のみとなりました。

私が所属していた日本郵船も、飛鳥という船を運航していましたが、集客には苦戦しており定員600名の船の乗客が30名程と言う航海もありました。このような状態の中でのクルーズ事業の継続でありましたが歯を食いしばり頑張り明るい明日に向け取り組んでいました。

そのような中で、大きなエポックとなったのが1996年に行った世界1周クルーズでした。 この世界1周クルーズを計画はクルーズ催行の2年前の1994年でした。飛鳥は竣工して3年程が経過していましたが、採算的には散々な状況であり事業継続が瀬戸際を迎えていた頃でした。この1994年に催行した45日間ほどのオセアニアクルーズが好評であり日本人のお客様には長期クルーズも販売可能なのではと、日本船で入れ替え無しの世界1周を計画する事にチャレンジ。その際の募集パンフレットが掲示資料です。

3月1日から6日4日までの96日間世界一周。乗客は誰も変わることなく、横浜を出た人がまた横浜まで戻ってくるという、世界でもほとんど経験の無い大きなクルーズ計画でした。集客が好調に進み募集人員の倍ほどのお客様が集まってしまい、結果的には1996年、1997年と、2年間連続で全く同じクルーズを行うことになりました。

この時の世界1周クルーズ料金は、早期割引で1人一番安い部屋で300万円、高い部屋が1,500万円でしたので、その価格をマスコミが大きく取り上げて、クルーズは長くて高く、ゴージャスで高根の花という評判が世の中に浸透してしまいました。

2. 世界のクルーズ状況

その後の我が国クルーズは大きな変化もなくニッチマーケットとして独自のクルーズ事業を維持してきましたが、2012年に外国船による日本発着クルーズが発表され2013年に催行されました。

日本でのクルーズのほとんどは日本船が担ってきましたが、外国船のクルーズ船が日本近海で日本人マーケットを対象に運航することとなりました。その当時、マスコミは、これを「黒船来襲」と表現しました。

何故黒船来襲か?

サンプリンセス号による日本発着クルーズは9泊10日のクルーズで、2人1部屋で、1人当たりの料金が12万4,000円です。1泊当たりにすると1万5,000円ほどのクルーズ料金でした。飛鳥やにっぽん丸などの日本船のクルーズ料金は、安くて1泊当たり5万円ほどですので外国船に比べ3倍以上の金額です。

これまでは、クルーズは高額な旅行商品であり富裕層の世界というイメージがありましたが、外国船であれば誰でもが手軽に楽しめる旅行商品として日本の中に紹介されました。

ニッチマーケットであったクルーズにマスマーケットの世界が開かれました。

そして、翌年、2014年に、今度は中国発着のクルーズ船の日本寄港が急増しました。グラフは、2008年から2016年までの博多港におけるクルーズ船の寄港数を年別に並べたものです。

2013年は38隻の寄港でしたが、2016年には329回の寄港となりました。約10倍の寄港数増加となりました。グラフで、2012年の112回から2013年の38回に激減したのは、尖閣諸島の問題で中国からの訪日客が一気に減少し、クルーズ船の博多港も寄港数も激減したからです。

この頃、日本船がどの程度博多港に寄港したのかを示すグラフでは、2012年27回であったのが、2015年には13回になってしまいました。2015年の総寄港数は259回で、その内、日本船が13回ですので、246回が外国船の寄港ということになります。

右の写真は博多港に停泊するクルーズ船であります。停泊しているクルーズ船の左側を通過しているのは博多と釜山を結ぶ「かめりあ号」です。船の大きさを比較するとクルーズ船の大きさが一目瞭然です。

中国からのクルーズ船寄港が増加することで、日本へのクルーズ旅客数が増加する状況の中、2016年3月に「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」で訪日外国人旅行者数目標が具体的に発表されました。2020年の目標で、4,000万人、そのうちの500万人をクルーズ船で日本に迎え入れたいとする高みの目標が掲げられました。

500万人との目標が如何に高かったのかを説明しますと、2016年の目標が掲げられたのは2015年でした。2015年の検討時に使用した受入旅客数実績は2014年の旅客数であり41万6,000人でした。この数字をベースに6年後に500万人という、検討時点実績の10倍を超えるような旅客数の目標を立てて、目標を達成するための諸整備方策を検討する事になりました。

この目標設置はクルーズ業界に新たなる大波を起こしました。

どのような取り組みであっても明確な目標が大切であることを再認識しました。

クルーズ500万人時代に向け諸整備を進めている経過のグラフです。左のグラフは、我が国に寄港したクルーズ船の寄港数のトータルです。黄色部分は日本船の寄港数で、青色部分は外国船の寄港数です。2010年から2017年の間、黄色の日本船の寄港は多少の増減はありますがほとんど変化していませんが、青色の外国船の寄港数は先ほどの博多港の例とも同様、毎年大きく増加しています。

このように、我が国の寄港数増加は外国船によってもたらされている状況は、私たちのクルーズに対する捉え方に大きな変化をもたらしました。 3,4年程までのクルーズは自分達がクルーズ船に乗ってクルーズを楽しむ事でしたが、今では、クルーズ船を受入れクルーズ船に乗ってきたお客様を迎え入れるのもクルーズとなりました。

2017年は2,764回クルーズ船を受け入れましたが、どの港で受け入れたのかを右の表にまとめています。寄港数の多い港として名前が挙がっているのは博多、長崎、那覇、石垣、平良、鹿児島、佐世保、八代であり、日本の西の方の港に寄港が偏っていることが良くわかります。

国土交通省が日本人のクルーズ人口の推移をまとめたグラフです。

赤色部分は日本船による国内クルーズに乗った人の人数。青色部分は外国船に乗った人の数。緑色部分は日本船の外航クルーズに乗った人の数です。黄色部分は少ないので除外して説明します。

このグラフから読み解けるのは、日本船の内航クルーズ乗船者数はそれほど大きく変化していない。日本船の外航クルーズ乗船者は徐々に減っており、今では1万人を切るほどの状況になっている。 その中で、伸びているのが外国船への乗船者数であり、外国船によるクルーズが、日本人にとって非常に大きな存在であるということが一目瞭然であり、今後の日本人クルーズマーケット拡大は外国船による日本クルーズがカギを握っているでしょう。

国土交通省が日本人のクルーズ人口の推移をまとめたグラフです。

赤色部分は日本船による国内クルーズに乗った人の人数。青色部分は外国船に乗った人の数。緑色部分は日本船の外航クルーズに乗った人の数です。黄色部分は少ないので除外して説明します。

このグラフから読み解けるのは、日本船の内航クルーズ乗船者数はそれほど大きく変化していない。日本船の外航クルーズ乗船者は徐々に減っており、今では1万人を切るほどの状況になっている。 その中で、伸びているのが外国船への乗船者数であり、外国船によるクルーズが、日本人にとって非常に大きな存在であるということが一目瞭然であり、今後の日本人クルーズマーケット拡大は外国船による日本クルーズがカギを握っているでしょう。

アメリカのメディアの「クルーズ・インダストリー・ニュース」が、今後のクルーズ船建造発注についてとりまとめたレポートがあります。2018年には15隻の船が建造され、2019年は23隻、2020年は19隻と、この先5年ほどで毎年10隻以上、20隻近いクルーズ船が建造発注されると発表しました。

現在の建造発注隻数の合計は106隻。建造費は6.7兆円ほど。船の大きさを表す平均トン数は9万3,769トン。この中には1万トン未満の船も含まれていますのでそのほとんどは15万トンを超える大型クルーズ船です。

更に、平均乗船数が2,361名。15万トンを超すような船になってきますと、大体4,000人から5,000人ぐらいの乗客が乗りますので、世界のクルーズ人口はさらに伸び続け1000万人以上のクルーズ人口増加が見込まれると推察できます。

今後のクルーズ産業の拡大とクルーズ船の増加を見込み、現在、日本の近隣国各地でクルーズターミナルの建設が進んでいますので、その幾つかを紹介します。

左上は、現在既に運用されている香港カイタッククルーズターミナルです。以前、香港の国際空港があった場所をクルーズターミナルとして再開発していました。船が停泊していない時は展示会場やパーティー会場など様々な用途で使用しているようです。

右隣は韓国の済州島です。済州島のクルーズターミナルも既に稼働しています。防波堤の内側にクルーズ船1隻、内側岸壁に1隻の2隻が同時着岸できます。クルーズ船岸壁の反対側はフェリーボート岸壁であり、フェリー岸壁近くにターミナルがあります。クルーズ船のお客様は船からおりて、長い通路を渡りターミナルでCIQと含めた様々な手続きを行います。

済州島では更に、島の南側に新たなクルーズターミナルがほぼ完成しており、島全体では10万トン級のクルーズ船4隻同時接岸できるクルーズ受入施設となります。

左下は上海の呉淞口国際クルーズターミナルです。ここは上海中心部からから20キロほど離れた、揚子江に面した場所にあります。有名な宝山鋼鉄所がある地域です。長さ1,700メートルのクルーズ埠頭が完成しており、その埠頭には3か所のクルーズターミナルが整備されていて、ここも10万トンクラスが4隻同時に接岸できる状況です。埠頭に隣接している道路を渡ったところには大型ホテルの建設も進み、クルーズターミナルを中心にした街づくりが進んでいるようでした。

右下の写真は、深圳にあるクルーズターミナルです。昨年の3月に完成しました。地上10階、地下2階の建物の一部にクルーズターミナルがあります。ここはクルーズ船が使用する岸壁に隣接した場所に香港空港、マカオ、広州等を結ぶ連絡船の発着場所があります。

香港空港からは連絡船で約1時間。シンセンのクルーズターミナルで飛行機のチェックインも可能であり、ターミナルでチェックイン手続きを行い荷物も預けて、手ぶらでそのまま中国を出国し身軽に香港の空港に入り、飛行機に乗ることが出来る。非常に便利な役割をこのターミナルが担っています。

3. 我が国のクルーズポートの課題

我が国のクルーズ船寄港状況は国土交通省で取りまとめています。

昨年、我が国に寄港したクルーズ船の寄港数を港別にプロットした図です。大き目な赤い丸印は1年間で100回以上寄港した港で、沖縄が3ポート、九州が福岡、長崎、鹿児島の3ポート。あとは関西の神戸、そして関東の横浜です。日本の西地域に偏った寄港分布になっています。

その理由は、日本に寄港するクルーズ船の多くは中国発着クルーズであり、中でも上海発着のクルーズが最も多いからです。中国人は日本人と同じような就労・休暇感覚ですので、連続した1週間の休みは取りづらく、クルーズ期間が4泊から5泊のクルーズ旅行が売れ筋となっている状況ですので、上海発着で4,5泊のクルーズとなると、航行時間の関係で九州の西海岸の港への寄港が精一杯であり、日本の西域への寄港に集中せざるを得ない現状です。

沖縄につきましては、中国のもう1つの巨大なクルーズ拠点である香港、深圳から、4,5泊で行ける日本の港は沖縄諸港とならざるを得ないので、沖縄に寄港が増えている状況です。

先週も上海で様々な船会社を訪問し今後のクルーズ計画をヒアリングしましたが、この先数年間は現在の4,5泊クルーズが中心となる形態は変わらないとの反応でした。しかしながら、中国では4,5泊のクルーズ形態が飽きてきているので、1週間程度のクルーズ造成が増えていくであろうとの積極的な発言もありました。

上海発着の1週間のクルーズが可能となると、日本海側は京都舞鶴港までの港への寄港が考えられるが能登半島を越えるのは難しいと思います。太平洋側は東京まで行くには1週間以上のクルーズ日程が必要となりますので数多くのクルーズは期待できず、関西への寄港に関心を持つ会社が多く、上海から関門海峡、瀬戸内海を通り関西に向かい四国沖経由で上海に戻る1週間クルーズを開発したいとの発言もありました。

1週間で上海と関西を結ぶ往復クルーズが可能となると、瀬戸内海クルーズへの関心が高まると期待しています。現在瀬戸内海は船の長さ200m以上の船舶の夜間航行は禁止されていますが、昼間に瀬戸内の多島美クルーズを楽しみ夜間は港に停泊し地元の食事を楽しむなど、新たなクルーズ商品の開発や、200メートル未満の船での瀬戸内海クルーズなど船会社によるクルーズ商品造成を期待しています。

一方、瀬戸内海を通らず、上海から大隅海峡経由で関西と往復するクルーズは途中で九州や四国によっても1週間程度のクルーズ造成は可能なので、中国と関西を結ぶクルーズは今後ますます盛んになるであろうと想定します。

年間2,700回以上も寄港する日本でのクルーズ船受け入れ状況について説明します。

上の写真は、広島港五日市埠頭での受け入れ状況です。貨物船が利用する岸壁に着岸しているクルーズ船は16万7,000トンのクァンタムオブザシーズ号です。中国からの乗客約4,500名が乗っており、乗客ツアー用に大型バスが164台準備され、原爆ドームや宮島そして買い物と広島寄港を楽しんでいました。この写真の右下は関係者の駐車場で、写真中央付近に見える仮設テントはCIQ手続きテントであり、その左横に歓迎及び物品販売テントがありました。

下の写真は熊本県の八代港です。ここも貨物船が使用する岸壁でのクルーズ船受け入れとなりますが、岸壁には物品販売用の大型テントが2張り。ラオックスもありました。八代港周辺には大型店舗が少ないので岸壁での物品販売に力を入れていました。

貨物岸壁で大型クルーズ船を受入れた代表的な港を紹介させもらいました。

左上は和歌山県新宮港に客船飛鳥Ⅱが寄港した際に船の上から岸壁を眺めた写真です。岸壁にはベルトコンベアや大きなテトラポットが並べられていて、このような環境の中で富裕層旅客を受入れています。

右上の写真は、横浜港の大黒ふ頭でクルーズ船を受入れた際の写真です。横浜港はベイブリッジから水面までの高さ距離による航行制限があるので13万トンクラスを超すような大型クルーズ船は大桟橋ふ頭を使用できず、橋の手前にある大黒ふ頭で受け入れることになります。この岸壁は自動車運搬船等が使っている岸壁ですので大型仮設テントを設置してCIQ等の入国に伴う諸検査を行っていました。

左側の写真は九州の油津港です。クルーズ船はチップヤードがある岸壁に着岸していますが、旅客用の施設は全くなく、クルーズ船の寄港に合わせて7,8台の移動販売車が港にやってきて様々な食を提供等、港湾区域内の運営を工夫していました。

右下は雨天時の寄港写真です。ターミナルのないところでのクルーズ船受け入れは天候が快適性を左右し、雨が降っても、風が吹いても悲惨な状況になります。 日本でのクルーズ船受け入れ状況をご覧いただきましたが、外国から大切なお客様を迎え入れる環境の脆弱さを感じざるを得ません。

4. クルーズ産業形成への期待

一方で最近になり明るいニュースが入ってきました。横浜港は新港ふ頭に新しいクルーズターミナルの建設に向けた計画が進行していています。新港ふ頭は今までもクルーズ船が時折寄港していましたが、クルーズ船の受け入れ環境の更なる向上を図るため岸壁エプロンを延ばし11万トンクラスの船を受け入れようとするこの計画は既に竣工され、来年には供用が開始されます。

5階建てのターミナルの1階、2階部分でCIQスペースや乗下船に伴う手続きを行い、3階以上にホテルを配置する計画のようです。クルーズターミナル機能にホテル機能や商業機能をもたらす施設は先進的であり魅力にあふれています。 日本の各地にこのようなターミナル環境が整うと、世界から多くのクルーズ船がやってくると思っていますが、まだ少し先の話かとも思っています。

現在、日本のクルーズポートでは岸壁の整備が進み、大型クルーズ船の安全受け入れが可能な防舷材や係船柱が整い大型クルーズ船の安全寄港受入港湾は増加しました。

確かに岸壁整備は進んでいますが、旅客を受入れる港湾区域は物流と人流の機能分離は難しく、更にその隣接背後地の整備はまだまだ先との状況です。

クルーズ船の受け入れは船を受入れる港が整備されているだけではなく、旅客の安全・円滑・快適な受け入れや、背後地や観光地などへの2次交通の問題も重要になります。空港と港、鉄道と港、道路と港のつながり等、シームレスな環境整備も必要です。様々な観点より我が国はアメリカ、ヨーロッパだけではなく、アジアと比べてもクルーズ船受け入れ環境が、相当に遅れている実態の一部を紹介しました。

クルーズは港湾と船舶と観光の三要素から成り立っています。

我が国のクルーズは船舶の領域として海運会社を中心に取り扱われてきましたが、クルーズ船を受入れる港湾、そしてクルーズは旅行としての楽しみをもたらす観光商品の一つとの観点が広がり 多くの業域が関わる存在です。

私共クルーズ総研は、クルーズ振興は港湾、海運、観光の各要素が一体的に結びつかれた先に展開されるものと思っており、クルーズ産業自体の形成を目指すべきと取り組んでおりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

以上をもちまして、本日の話題提供を終了させていただきます。まことにありがとうございました。

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